自己紹介

【自己紹介】手取り16万円の平凡なサラリーマンが20代で純資産1000万円を超えた話と私の理念

2021年11月27日

はじめまして!

かもとりと申します。

 

私は、研究機関で研究員として手取り16万円で働きながら、27歳の時に仮想通貨投資やオフショア投資(低税率の国の金融機関を通じた投資で利回りが比較的高い金融商品を取り扱っている)を始めて、29歳で純資産が1000万円を超えました。

 

均的な収入の私が投資詐欺に遭いながらも投資を行い、純資産1000万円を超えるに至った経緯について、私の半生を追いながらお伝えしていきます。

 

ぜひ、最後まで読んでいただけるとありがたいです。

 

0歳〜12歳:大阪府で、両親と兄がいる4人家族で末っ子の次男として育つ。内気な子供だった。

 

12歳〜15歳:地元の公立中学校に進学。運動が苦手だったが、周りの友達が入部しているから、また、内気な自分を変えたいと思い、陸上部に入部。度重なる故障にもめげずに長距離に打ち込む。一方で、学習塾にも通い、勉強にも精を出して学年で真ん中ぐらいの成績から2位へと成績も伸ばす。

 

15歳〜18歳:部活動や学校行事が盛んな公立の進学校の高校へ進学する。中学に続いて部活(陸上部)に勉強に精を出したが、部活では度重なる故障でろくに活躍できず、長距離から競歩に転向するも大した記録は残せなかった。学校の成績については、悪くなかったが、大学受験直前の文系から理系への進路変更や受験当日に虫垂炎になるというアクシデントもあり、不本意な大学へ進学する。

 

18〜22歳:あまり希望していなかった地方の公立大学に進学。入学当初は腐っていたが、学業には興味を持っていたので徐々に前向きに大学生活を過ごすようになり、研究にも熱心に取り組む。大学院への進学を希望しながらも家庭の事情から学部卒で就職しようと就職活動に取り組むもうまくいかず、結局大学院へ進学する。

 

22歳〜24歳:大学院に進学し、大学時代よりもより一層研究に打ち込む。 一方で、研究だけの大学院生活にしたくないと考えて塾講師のアルバイトもこなしていた。しかし、就職活動ではまたうまくいかず、結局滑り止めとして受けた中小の化学メーカーにしかたなく入社。

 

24歳〜25歳:何とか入社できた会社では、募集要項でさえ年間休日105日と休日が少なかった。休日出勤もあったので実際の休日はさらに減り60日程度だった。深夜に及ぶ残業も当たり前の環境で、唯一の心の支えであった精神科に通うことすらできなくなり、次の職が決まらないまま退職する。

 

25歳〜27歳:学生時代になりたかった研究機関の研究員の求人に応募したところ採用される。入社当初は慣れない環境に加えて、前職から続く精神疾患によって苦労する。1年後には休みのとりやすい労働環境のおかげで、精神科への通院と相談機関へ相談でき症状が徐々に改善されるように。また、入社当初は周囲とうまく協調して仕事を進めることができないこともあったが、不器用ながらも仕事を覚え、うまく活躍できるようになる 。

 

27歳〜29歳:インターネットで同い年の個人事業主と知り合い、仮想通貨を始めとする投資に興味を持つ。紹介された案件は詐欺案件もあり、もちろん損失も出た。それでも、海外の金融機関での資産運用、仮想通貨の投資によって最終的に失った額の3倍以上の利益を得た上、自分が働いていない間も少額だが収入を得ている。投資をすることを通じて、世界経済や金融に関心を抱くようになり、今の日本の状況、自分の経済状況に危機感を持ち、経済的独立を目指している。

 

 

内気な幼少期

 

 

両親と兄がいる4人家族で末っ子の次男として生まれました。

 

幼稚園児・小学生の頃は、内気で何をするにも遅く消極的な性格でした。人の話を聞くことが苦手で、周りをきょろきょろ見て困っていると、いつも先生やクラスメイトに助けてもらってました。

 

一緒に遊んでくれる友達はいましたし、2歳年上の兄の友達の家に呼ばれて一緒に遊びにいくこともよくありましたが、友達と遊ぶよりもずっと好きな生き物の図鑑や地図、漫画を見たり、家で飼っていたカメやカブトムシを眺めたり、1人でゲームすることの方が好きでした。

 

故障に悩まされながらも学業と部活が好調だった中学時代

 

地元の公立中学校に進学し、運動が苦手だったのに、周りの友達が入部しているから、また、内気な自分を変えたいと思い、陸上部に入り、長距離を専門にしていました。

最初は練習がしんどくて毎日筋肉痛でしたが、練習すればするほど記録が伸びていき、陸上競技にとてもやりがいを感じていました。

 

ところが、中1の冬に腰椎分離症という骨盤に亀裂が入る怪我をしてしまい、走ることに痛みを感じるようになり、4ヶ月間思うように練習できませんでした。

その1年後の中2の冬には鉄欠乏性貧血で、校舎の1階から3階まで急いで階段を上がるだけで息切れするようになり、再び4ヶ月程練習を見学することになりました。

さらに中3の夏には校庭で練習中に転がってきた野球のボールを踏んで足を骨折し、また2ヶ月程練習できませんでした。

 

度重なる故障に加えて故障の度に退部するよう勧める母親に心が折れそうになりました。

ただ、ここで辞めたら何一つ成し遂げられず中途半端に終わる。

 

そんなことを考えて、スランプに陥りながらも練習に励み、地区の予選を勝ち抜いて大阪府大会に出られるぐらいには記録を伸ばし続けました。

中3の冬に体育の授業中の怪我で思うように練習できない中でもやれることをやり、母の反対を押し切って高校受験の3週間前にも、駅伝を走り、やり切ったという気持ちで中学生活を終えることができました。

 

学業面では、放課後の練習後、学習塾にも通い、元々中1の1学期までは中の上ぐらいの成績だったのが、中学1年の後半頃から成績が伸び、学力の高い中学校ではありませんでしたが、学年で2位の成績をとることもありました。

 

この頃から元々内気だった性格が不器用ながらも徐々に社交的になっていき、通っていた塾では男女問わずマスコット的な人気を得ていましたが、色恋沙汰とは無縁な中学時代を送りました。

中学校を卒業後、公立の進学校の高校へ進みました。

全生徒の90%以上が部活動に参加する非常に部活動が盛んで、自由な校風という環境の中、中学校に続いて陸上競技に青春を燃やしました。

中学校のような大きくはないけど軽い貧血のような小さな故障によって記録は伸び悩み、駅伝のレギュラーメンバーにもなれませんでした。

 

監督の勧めで、足腰に負担がかかりにくい競歩に転向しましたが、監督は競歩については専門外でした。

そこで、小遣いを節約してお金を捻出し、電車賃を安くするよう工夫して外部の練習会に参加していました。

自分の小遣いから電車賃を出していたのは、母にバレるとうるさく言われることが目に見えていたからです。

 

外部の練習会では競歩の基礎ができるようにならず、プライドが傷つく言葉を言われ、行かなくなりました。

その結果大した記録は残せず、引退することになりました。

 

学業面では、中学校の時よりも全体的に周りの学力が高い中で、教科によっては定期テストで赤点を取ることはあったものの、実力テストではたいてい中の上〜上位の成績でした。

 

英語が得意だったので、文系理系を選択する段階では何となく文系を選択しましたが、自分が将来やりたいことは何か、将来何になりたいか悩み始め、大学で学んだ内容を生かして技術者または研究者として活躍したいと考えるようになりました。

文系ではその希望を叶えるのは難しいという結論に至り、受験の2ヶ月程前に農学系の学部を受験することを決意しました。

勉強していない範囲の理科の出題範囲が少ない大学の学部を目指して勉強していました。

 

そして迎えた大学入試。

 

2日間の日程で実施される大学入試センター試験(当時)の1日目の1時間目の試験中にお腹が痛くなりました。

 

医務室で痛み止めをもらい、別室で残りの科目の受験を終えて、病院に行くと虫垂炎と診断され、1週間入院して薬で治療することになりました。

やむなく医師の診断書を提出し、2日目の試験を2週間後の追試にしてもらい、2日目も受験しましたが、散々な結果に終わりました。

 

追試の翌日に、不本意でしたが、個別試験(2次試験)の配点の割合が高くてセンター試験の結果を挽回できる可能性が高い、ある地方の公立大学に願書を提出しました。

 

さらにその5日後に虫垂炎が再発したので、今度は手術をして再び1週間入院することになりました。

 

受験直前での進路変更に加え、センター試験での失敗、その後の手術と2回にわたる入院によって、受験は完全に失敗したと思いました。それでも、今回の受験の経験は浪人して翌年受験するときにいきるだろうと考えて大学の2次試験を受験したところ、予想に反して合格しました。

 

ただ、とりあえず合格したとはいえ、大して行きたかった大学ではなく、しかも大学のキャンパスのある場所がかなりの田舎でした。

大阪の公共交通機関が発達した利便性の高い場所で育った私にとって、車がないと生活に苦労しそうな場所での生活はとても衝撃で、このまま大学に進学することにモヤモヤしていました。

 

入学当初は不本意な大学に進学したことを後悔し、周りの人の不真面目な学習態度にうんざりしました。

転学を考えた時期もあり、他大学のオープンキャンパスに参加したこともありました。

大学の学問にはとても興味を持っていましたが、周りを見下しながらも大学の授業には真面目に取り組んでいました。

 

そんな中、低偏差値の大学出身であっても、有名企業に就職したり、研究者として活躍したりしている人の話をリアルやネットで聞くことがありました。

また、高校までの友人や兄の話を聞いていると、どこの大学でも不真面目な学生はいることを理解し、どこの大学でもそんなもんだと知りました。

 

そういったことから、不本意な大学であっても今後の頑張り次第で今後の人生でいくらでも挽回できると考えるようになり、前向きに学生生活を送るようになりました。

 

大学2年になって、アルバイトやサークル活動などの課外活動にも積極的に取り組みました。

 

そのようにして過ごしていた大学2年の頃、飲食店のアルバイト先で電話での注文を聞き間違えるトラブルを起こして、店長に叱られたことで、思えば自分は昔から要領が悪くて部屋が片付けられないし、人の話を聴きながらメモをとるのも苦手だということを気にするようになりました。

そこで、精神科を受診するも精神疾患ではないと言われ、解決しないまま悶々とした日々を過ごしていました。

 

大学3年になり、家庭の経済状況を心配して学部卒で就職しようと考え、嫌々就職活動を始めました。

学部で学んだことを生かせる、企業・職種を希望するも内定を得られず、大学院受験の面接では就職活動をしていたのに大学院を受験するに至った心境の変化を尋ねられると、

 

「本当の勝負はこれから」

 

という負け惜しみを言って同じ大学の大学院へ進学しました。

 

充実していたけど就職活動の結果は振るわなかった大学院時代

 

大学院に進学し、大学時代から続けて研究に打ち込み、新たな知見を明らかにしようという熱意を持っていました。

私と同じように研究に興味や、やりがいを感じている先輩や同期たち と切磋琢磨して充実した日々を過ごしていました。

 

研究に精を出す一方で、研究だけの大学院生活にしたくないと思い、個別指導塾の講師のアルバイトもこなしていました。

最初は指導の下手さや保護者の方からのクレームで、教室長に叱られることもありました。

ただ、叱られたままでたまるかと思い、教室長やうまい先輩のやり方を真似して続けていたら、逆に塾長に頼りにされるように。

頼りにされることもあって自己肯定感が上がっていきました。

 

就職活動では学部時代と同じような希望を持ちつつもう少し視野を広げて幅広い業界の企業を受けるも、希望の企業から一つも内定を得られませんでした。

結局滑り止めとして得た内定の中で比較的マシだと思える中小の化学メーカーに、こんなところ次の転職先が決まればすぐに辞めてやると決意し、入社しました。

 

ブラック企業で精神をむしばまれ、退職する

 

入社当時は希望の製品開発を担当する部署への配属でしたが、物覚えや要領の悪さから使えないダメ社員のレッテルを貼られ、入社から半年で品質保証への転勤を伴う異動をさせられました。

 

また、この頃から再び要領が悪くて物覚えも悪い自分のポンコツぶりや、トップダウンで会長の顔色を伺いながら仕事をする息苦しい社風、周囲との摩擦などからくるストレスから、精神疾患ではないかと疑い、再び精神科に通うようになりました。

 

移動先の部署では高度な仕事は多くなかったため、何とか戦力にはなっていました。でも、前の部署にいた頃より、面倒な仕事を押し付けられ、休日は少なくて不規則で、毎日深夜に及ぶほどの激務によって精神はむしばまれていきました。

 

唯一の心の支えであった精神科に診察の予約をしてもその日に勝手に仕事を入れられることがよくありました。

診察の予約を変更しようとすると、予約日は1ヶ月後で、その日にも仕事の予定を入れられ…ということが続いて精神科に通うことすらままならなくなりました。

処方してもらった薬を切らしてしまい、毎日が憂うつでした。当時、田舎道を自転車で通勤していましたが、通勤途中に、近づいてくる車を見て、

 

「ここで車に轢かれたら楽になれるのか」

 

そんなことをぼんやり考えたことは一度や二度ではありませんでした。

 

その上、どれだけ残業しても固定分しか支払われない残業代に絶望して、次の職も決まらないまま入社から1年で退職しました。

 

この会社に入って悟ったことは、入社3年以内の離職率では会社がブラック企業かどうかは判断できないこと。

むしろ、3年以内の離職率が高い会社は辛くなったら逃げ出しやすいため、まだましな会社だということでした。

本当にヤバいのは辞めにくい雰囲気が作られて辞めることを言い出しづらい、または辞めたいと常日頃から言っている人がいっぱいいる会社だということに気付きました。

 

やりたかった研究員の仕事に就き、良くなる精神状態

 

退職の直前に偶然、インターネットで学生時代になりたかった東北の研究機関の研究員の求人を見つけ、応募したところ、採用されました。

 

入社当初は慣れない環境に加えて、前職から続く精神疾患によって苦労しながらも、休みのとりやすい労働環境のおかげで、精神科への通院を続けることができ、改善されていきました。

 

また、入社当初は周囲とうまく協調して仕事を進めることができないこともあり、先輩や上司に叱られることもありましたが、不器用ながらも仕事を覚えていき、頼りにされることも増えていきました。

 

経営者、投資家の世界を知って衝撃を受ける

 

そんなある日、人生に転機が訪れました。

 

当時、職場以外の人間関係があれば、職場と家の往復だけの生活だけじゃなくなって、仕事でしんどいことがあっても精神を正常に保てるので、友達を作ろうとあちこち顔を出していました。

 

某掲示板サイトで、カフェでおしゃべりすることを目的とするグループを発見し、参加することにしました。

そこで知り合った人が趣味で音楽ライブをやっていたので、後日ライブに参加したら、その後の懇親会で、私と同い年の個人事業主のA君と知り合いました。

 

A君はビジネスを複数やってたり、仮想通貨投資をしてて、同い年とは思えないほどお金を持っているように見えました。

 

最初は怪しいと思いつつも、お金には興味があったんです。

 

元々、スマホは格安SIMを使ったり、ポイントを貯めるのが得意で、大学生から一人暮らしをしていて節約が身についていました。

なので、当時350万円の年収でしたが、貯金は400万円程度あって、どうにかその貯金を使ってもっと増やせないものか、と考えていました。

彼の紹介する案件には詐欺案件もあり、私はいくつかの詐欺案件にお金を投じてしまい、合計100万円近く損失を出ました(そのうち50万円は今も少しずつ返済してもらっています)。

 

その損失は、資産を増やす上での勉強代だと割り切るようにしました。

一方で、彼が紹介するオフショア投資(税金が安い国で行う儲かりやすい投資) や、仮想通貨ビットコインのマイニング(高性能なコンピューターで計算してビットコインが報酬として手に入る作業)にも投資(マイニングマシンを購入)しました。

 

ちなみに、マイニングへの投資にあたって、マイニングして得たビットコインを雑所得ではなく事業所得として認めてもらうため、開業届を税務署に提出しました。

当時は、職場では副業禁止なのに副業を行うことにビビっていたので、職場に仮想通貨のマイニングが副業に該当するのか確認したところ、資産運用の一環と考えられるため副業には該当しないという回答を得ていますw

 

投資をすることによって、政治や経済の動きを自分ごととして捉えるようになり、世界経済や金融に対する情報感度が上がり、もっと知識を得たいと思うようになりました。

 

書籍を読むことはもちろん、純資産数10億円の資産家によるセミナーにも積極的に参加しました。

実際に確定申告も行なっており、現在では金融、投資、税制、仮想通貨などに対する正しい認識を身に付けることができました。

 

また、セミナーや海外銀行への口座開設ツアーなどで、数十億円もの資産を持つ経営者や投資家の方々と出会うことができました。

そこで出会った経営者や投資家の方々は普通のサラリーマンでは得られないような財産を築いていました。

にもかかわらず、自分が普段一緒に過ごしている職場の人と違って勉強熱心で、謙虚に学んでいる人が多い印象を持ちました。

私はそんな彼らの経済的な豊かさだけでなく人間性にも魅力を感じました。

 

また、セミナーや海外銀行への口座開設ツアーなどで、数十億円もの資産を持つ経営者や投資家の方々と出会うことができました。

そこで出会った経営者や投資家の方々は普通のサラリーマンでは得られないような財産を築いていました。

にもかかわらず、自分が普段一緒に過ごしている職場の人と違って勉強熱心で、謙虚に学んでいる人が多い印象を持ちました。

私はそんな彼らの経済的な豊かさだけでなく人間性にも魅力を感じました。

 

これまでの私は、学生の頃も就職してからも周りの人の愚痴を言ったり、見下したりすることが多かったのです。

しかし、自分の周囲にはいないような方たちと話したり、書籍を読んだりして、自分の周りの環境は自分を写す鏡だということに気付きました。

 

それからは周りの人を見下すのではなく、自分も周りの人と大差ないのだから、謙虚に学んで自分自身を高めようと思いました。

 

この出会いがきっかけで、いくら働いても楽にならない上、老後も安心できない会社員としての働き方に疑問を抱くようになり、このままじゃあいけないと思いました。

 

そんな中、2020年2月頃からコロナ禍による景気後退への懸念から、世界各国が金融緩和を行い、お金をばらまき始めました。

インフレがひどい南米の国では、自国通貨が信用されておらず、米ドルやビットコインの方が信用されていることを知っていました。

その上、その年にはビットコインの半減期といって、簡単に言うと4年に1回訪れる、ビットコインの価格が上昇するイベントもありました。

このままでは日本円の価値が下がって、ビットコインの価格が上がると思い、1ビットコイン=110万円ぐらいのときに、130万円ほどをビットコインに変えました。

 

ところが、予想に反してビットコインの価格は下がり始め、一時45万円程にまで下落しました。

後で知ったことですが、こういった景気後退局面では最初、金のような資産は、目先の回転資金を確保するために、売られることがあるため、価格が下がるそうです。

 

ビットコインはデジタルゴールドと呼ばれ、金と同じようにそのものに価値があることを知っていて、また価格は戻ると信じていましたが、預金残高を気にしながら損切りすべきか、悶々と日々を過ごしていましたが、結局損切りせず保有し続けました。

 

それから半年後に買値と同じぐらいにまで価格は回復し、その後200万円を超え、年末には2017年につけた最高値を更新し、2021年に入って700万円を超え、ビットコインやその他の仮想通貨を含む私の純資産が1000万円を超えました。

 

現在はビットコインの価格は下がりましたが、コロナ禍で世界の超富裕層の資産が過去最大に達したそうです。

この経験から、持てる者はますます富み、持たざる者は更に失うという資本主義の現実を垣間見た気がしました。

 

自分が今の会社で働いても毎年わずかな昇給はあっても給料は安いままで、しかも年々税金や社会保険料は上がっていきます。

会社員としてこの先も働き続けることに何の希望を見出せなくなり、経済的独立を目指し、投資を通して得た経験や知識を発信しています。

かもとりの理念について

 

これまで社会の荒波に揉まれながらも自分の弱みと向き合い、やりたかった職業で、かつ一般的に安定していると言われる職業に就くことができましたが、こんな悩みを抱えていました。

 

  • 消費税増税、年々増える社会保険料によって、毎年昇給しても自由に使えるお金はあまり増えず、豊かになれず、日本社会はどんどん貧しくなる一方なのに、周りの人はあまり社会や将来に対して自分ごととして捉えて危機感を持っておらずあてにならない。
  • 老後2000万円問題に加えて、政府の債務残高が増え続けているので、将来に不安を抱えているものの具体的に何をどうすればいいのかわからない。
  • 会社で副業は禁止されているので副業で収入を増やせない。
  • 貯金だけで将来大丈夫か不安で、投資は必要だと思うけど、何から始めればいいのかわからない。
  • 将来人工知能(AI)によって自分の仕事は奪われるかもしれないため、終身雇用されるのかわからない。

そんな時に投資を始め、社会情勢の変化を自分ごととして捉えるようになり、マネーリテラシーを高めることができました。

マネーリテラシーを高めれば、こんなメリットがあります。

 

  • 支出を最適化して、自由に使えるお金を増やせる。
  • 低収入でも資産を増やせ、老後の生活不安を取り除く手助けになる。
  • 万が一日本社会を根底から揺るがすような金融危機(国家破産、ハイパーインフレなど)が起きても、比較的被害を少なくすることができ、むしろそのような危機が起きれば資産を多く持っていなくても日本の中で相対的に金持ちになれる。
  • 投資詐欺かどうかの判断ができて詐欺に遭いにくくなる。

私が金融、経済、投資などについて情報発信するのはこんな思いからです。

 

  • 一般には出回らない怪しいと思う投資案件の中に、良いものがあるから、怪しいと決めつけて理解することを諦めてはもったいない。
  • 仮想通貨(ビットコイン)はけっして怪しいものでないし、ただの投機の手段としてだけ考えるのはもったいないもので、国家権力やインフレから自分の財産を守ることができる可能性を秘めており、社会的課題の解決策にもなりうる。
  • 投資詐欺に遭って疑心暗鬼になり、チャンスを逃すことはもったいない。

私の発信を通して、金融、経済、投資について正しく理解し、マネーリテラシーを高めて生活不安を減らし、豊かな人生を送れる人を増やしたいと思っています。

 

ブログでは主に資産家のセミナーや、書籍、投資を実践することを通して得た、金融、経済、投資に関する一般的な知識を中心に書いていきますが、メルマガでは投資なんてしたことない普通の20代会社員が1000万円の純資産を作った方法をお伝えしています。

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